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2012/10/23

なんでゴッホはあんなに急いで次々描いたかを考えてみた。

ゴッホがほぼ二日に一枚のペースで絵を仕上げていったという急ぎ方がずっと気になっていました。もっとのんびり描いていたなら・・・、なんてつい考えてしまいますよね。
もちろん病気のこともあったと思いますが、最近私はこんな風に思うようになりました。
ゴッホにとって絵を描くことは仕事(ワークじゃなくてビジネス)だったんじゃないかって。
ゴッホはある時からテオと契約したんです。生活費の変わりにすべての作品を送るって。
だから遊んでいたらクライアントのテオに申し訳ない。出してもらったお金に相当するものを渡すのが自分の役割だと感じていた。つまり完璧な職業意識があった(きわめて独りよがりかもしれない)というわけ。だから、絵の詳細を書いた手紙をたくさん出すのも「私は今、こうしてあなたの仕事をこなしていますよ」って伝えるためだった。
テオを愛していたゴッホは少しでも多く、いい作品を送りたかった。自分は情けで面倒を見てもらっているわけではないと自ら納得するためにも。先払いの仕事を引き受けた人間ならそう考えても不思議無いですよね。
後世の人は兄弟愛として受け入れてしまうけれど、ゴッホにとって生命線である収入源を守り、継続させるためにはテオを説得し、満足させる必要を日々感じていたのだとしたら・・・。
こんな風に考えると何となく合点がいく気がするのです。テオだって他の画家をいっぱい抱えた目のいい画商だったのですから。
もちろんそれだけではないに決まっているけれど。
美しい兄弟愛を思うゴッホファンから叱られてしまうかもしれませんね。かなり現実に毒された見方にすぎないって。
でも、もしそうだとしてもゴッホの絵の価値が変わるわけではないのです。
だた、もう少しのんびり描いていてくれたらひょっとするともっと新しい作品を見ることができたかも、ってついつい欲張ってしまうんす、私。ゴッホって説教師の仕事でも、誠心誠意すぎてしまうほどです。仕事への律儀さが結局命を縮めてしまった。そしてその律儀さあったからこそ、こんなにも多くの作品を私たちに残してくれた・・・。やるせないですよね。
結城昌子

comments (2)

コメント

  1. 結城昌子 より:

    M.Iさま
    ふと思ったことに丁寧にコメントいただきありがとうございました。
    私は個人的にはテオのことが気になって仕方ないんです。
    テオはゴーギャンにも援助するほどある意味有能な画商だった訳で、まだ認められていなかった印象派の絵も個人的に買ったりしていて、不服を漏らしながらサロンの画家の作品を売っていた。
    ゴッホが死んですぐに相続権の生じる母と兄弟に、すべての作品の相続を辞退させる書面を取り交わしているんです。兄の作品を一枚とて家族に渡さないって、テオの強い意志を感じますよね。もっとも半年後には自分も死んでしまうんですけど・・・。
    一心同体だとは理解できても、それ以上のなにかを感じてしまうんです。
    不思議で魅力的な存在です。

  2. M.I より:

    なるほど。前払いで受け取っていたら相手が弟でも、そういう行動になりそうですね。
    彼が幸福だったのかどうかは本人しか知りえないと思いますが、作品がこれだけ後世の人々に愛されているという事はゴッホの大きな功績ですね。
    そういう意味では、あの世で幸福を感じてるかなと思ってみたりもします。

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