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2017/10/13

ゴーギャンは嘘つきだったのです。タヒチ編1

私がタヒチに行ったのは、
ゴーギャンのこんな言葉があったからでした。
……あたりは漆黒に包まれ、物音ひとつしない。
枯れ葉の落ちるわずかな音さえはっきり聞こえるほどの、
静けさにつつまれる夜……。たしかそんな内容でした。
そんな静けさに満ちた夜って?
枯れ葉の落ちる音が聞こえるほどって?
そこを精霊たちが音もなく通り過ぎるなんて
考えただけで行きたくて行きたくて…、で行ってしまったというわけ。
もう10年も前のことですが。
思いのほか湿った空気に混じって
海の匂いと、土の匂いと、花の匂いと、熟れた果実の匂いがまざって、
とても濃密な香りがしたことが忘れられません。
これが、ゴーギャンが「かぐわしき大地」と語った
タヒチなのだという実感に胸が熱くなったことを思い出します。

タヒチ 水上コテージ

タヒチの代名詞、水上コテージです。
実は、私の泊まったコテージは
ハネムナーに人気のある水上コテージとは別の、
少しだけ割安のビーチコテージ。
こちらは、木立のなかにあって、目の前は海で、
「かくわしい大地」を望む滞在者にはピッタリ。
水上コテージはひとりで泊まるには、
あまりにロマンティックすぎるというものです。(笑)
凄いのは、夕暮れ。
神々の儀式のように荘厳な日没が
毎日繰り返されるのだからたまりません。
<私は何者なのか?どこから来て、どこに行くのか?> って
ゴーギャンの絵の題名みたいなことを本気で思ったりしました。(笑)
ゴーギャン『我々はどこから来たのか、 我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか』
ゴーギャンの『我々はどこから来たのか、
我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか』です。
完全にゴーギャンの残した言葉を信頼していた私ですが、
とうとう、もうひとつのタヒチと出会ってしまったのでした。
なにもしない長すぎる時間に
たっぷりすぎる昼寝が災いして、
その日はなかなか眠れなかったのです。
実は、それまでの夜は疲れていたのか、バタンキュー! で
全く夜を味わえないでいたのです。
だから、夜の静けさを味わうのには絶好の日になる予定でした。
ところが、なんです。
シーツに潜って、全身を聴覚にして耳を澄ますと……、
砂浜に打ち寄せる波のタッポンタッポンに混じって、
遠く外洋から、うなり声のようなゴーゴーの音が
地響きのように聞こえてきて、
あたりの木々のザワザワも半端じゃない。
鳥はバタバタ、こともあろうに
パンダナスの葉をふいて作られた私のコテージの
屋根の上でなにやらギーギーカッカッと大騒ぎを始めるではないですか。
えっ、これが静けさに満ちた夜なの?

思わず枕に耳をふさいだら、
今度は床下からカサコソ。
カニが穴を掘っているらしい。カサコソカサコソ。
おまけにどこから舞い込んだのか虫がプ〜ン。

「うるさ〜い!!」
自然はこんなにもうるさいものだったのです。
もしかしたらそれは、ちょっとした風の機嫌で、
海が荒れ、山がざわめき、生き物たちが動き始めただけの
ことかも知れないけれど、
私ははじめて本当の意味で野生と出会った気がして嬉しかった反面、
ゴーギャンが嘘つきだと確信してしまったというわけ。
でも、嘘つきでいてくれると、ちょっと救われます。
ゴーギャンは晩年、
「パンと水しか口にしていない。金を送ってくれ!」
って、何度も悲痛な手紙を本国に書いていたけれど、
もしかしたらそれも嘘だったかも。
お金を無心する時に、
楽しく優雅に暮らしてます
とは普通は言わないと思うから。
思い出してみれば、パイナップルも、
マンゴーも道に転がっていたじゃないか。(笑)
結城昌子

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2017/10/13

愛知県版 中日新聞に

「ランス美術館展」に関するコラムを書きました。
この企画展は現在名古屋で開催中です。
今回来ているいろいろな作品の中から、
私が選んで書いたのはゴーギャン。
中日新聞 ゴーギャン
クリックすると大きくなります。
この彫像を見ると、どうしてもゴーギャンを思いながら
タヒチで過ごした旅の日々のことを
思い出してしまいます。
タヒチには本当にゴーギャンが「ノアノア」の中で
書いたような、精霊みたいな存在がいて…。
結城昌子

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